第61回  「 裁判は戦(いくさ)である 」

第61回  「 裁判は戦(いくさ)である 」
                                                         - 2013年8月2日

裁判は戦(いくさ)である
 歴史小説を読んだり歴史ドラマを見たりしてつくづく思うのは、我々が行っている裁判と戦(いくさ)に共通点が多いということです。

1 諜報戦
 情報を制する者が戦いを制す。戦国時代、信長や秀吉や家康などは伊賀や甲賀などの多くの忍びの者を利用し、敵方の内情をつぶさに事前調査し、極力、有利に戦いを進めようとしておりました。現在の裁判においても、まず相手方の氏素性は勿論のこと、所有する財産、勤務先、家族構成、場合によればその交友関係などを調べ上げることは極めて重要です。そのため、興信所や探偵社を利用することがあります。相手の支払能力がまったく見込めないのに裁判を起こすことほど無意味なことはないからです。

2 戦略
 次に、どのような手段に打って出るのがいいかを考えなければなりません。戦略が必要です。戦国武将たちは、人質を送って相手と和睦を結ぶのか、それとも戦(いくさ)を仕掛けて討ち取るのがいいのかという判断をしていました。現在でも、いきなり裁判を仕掛けるよりも、先ず相手方と示談交渉をして話し合いをし、場合によっては相手に一定の条件を与えて和解をするという選択肢もあります。あるいは、いきなり相手方の一番困るものを差押さえて、その後の戦いを有利に展開することも検討しなければなりません。戦略のない戦(いくさ)は、大東亜戦争の際の日本陸軍のような末路をたどることになります。

3 作戦
 戦(いくさ)が始まったとしても、どのように戦うかというのが重要な問題となります。作戦をどう立てるかです。真正直のみで戦(いくさ)は戦えません。日露戦争の頃、乃木大将が二百三高地を落とすために馬鹿正直に正攻法で真正面から突っこむことだけを繰り返し、何万人という日本兵を犠牲にしました。そのため、総司令官大山巌が乃木大将の指揮命令権をはく奪し、児玉源太郎に与え、その結果、二百三高地をようやく陥落させることができたのは有名な話です。裁判でも、真正面だけではダメな場合があります。例えば、証拠を出すタイミング一つとっても、相手方に不利な証拠をあまりにも早く出すと、相手方に弁解の時間的余裕を与えてしまいます。そのような場合、仮に、相手から、「卑怯だ。」と言われても証拠を後出しすることも考えなければなりません。このあたりが悩ましいところです。勝利のためには手段を選ばないのか、あるいは、潔い負けを選ぶのか、難しい選択を迫られることがあります。

4 第六感
 戦(いくさ)である以上、第六感が必要です。日露戦争の際、連合艦隊司令長官東郷平八郎が、ロシアのバルチック艦隊が対馬海峡からやってくるのか津軽半島経由でやってくるのか海軍の中で意見が分かれたとき、一言、「対馬でごわす。」と言ったのが、正に東郷平八郎の第六感によるものです。この第六感が当たったからこそ、無敵艦隊と言われたバルチック艦隊を日本海軍が壊滅させ、東郷平八郎の名前を歴史に刻ませたと言えるでしょう。裁判においても、物的証拠が無く、証人の尋問のみで勝ち負けが決まるということがよくあります。そのような時に、「この証人はこのように答えるであろう。」という第六感にもとづいて尋問をする必要に迫られることがあります。第六感が外れてしまえば、その裁判は一気に敗北の道へと突き進むでしょう。しかし、第六感が当たって、証人が予想どおりの証言をしてくれたため、裁判に勝つことは多々あるところです。何故、第六感が働くのか、理屈ではなかなか難しい。しかし、この第六感が当たるか当たらないかによって、その弁護士が優秀か優秀でないかが分かります。

5 物量作戦
 支那事変の時、国民党の蒋介石軍には援蒋ルートを通じて、米・英から大量の武器・弾薬・食料が運ばれ、日本軍を悩ませました。朝鮮戦争の際には、北朝鮮側に中国共産党より大量の人民解放軍が送り込まれ、韓国軍を困らせました。また、会津戦争の際には、新政府軍が鶴ケ城に1日2000発以上の砲弾を撃ち込んだと言われています。いわゆる物量作戦というものです。
 現在の裁判においても、相手方が保険会社の場合、大量の資金を投入してお抱え医者などに保険会社側(加害者側)に有利な意見書などを書かせてきます。対する被害者側は一介の市井の人々であるため、医者を雇って意見書を書かせるようなお金がありません。裁判も、やはり、銭・金を持っている方が有利となるようです。

6 深追いはしない
 争いに大方の決着がついたときに、徹底的に相手を追い込まないということです。徹底的に相手を追い込めば、「窮鼠猫を噛む」となりかねません。明治維新の時、新政府軍の西郷隆盛と徳川幕府の勝海舟が話し合って江戸城の無血開城をしたのはあまりにも有名です。ただこの時、新政府軍が江戸城総攻撃をかけていたならば、勝海舟は徳川が260年に亘り築き上げてきた江戸の町を無傷のまま渡すことはせず、江戸を火の海にする計画があったといわれております。相手が恭順の意思を示したときは必ずその意思を汲んでやるという心の広さが必要となってくるのです。裁判でも、最後の1円までも搾り取るのではなく、相手にもある程度余力を残してやって和解するのが、長い目で見た場合、必要と思われます。

7 家康の名言
 徳川家康が良い事を言っておりました。
「相手から意に沿わぬことを命じられたとき、相手に翻意の可能性がなければ、その命令に従うか戦うかの二つに一つしかない。それでは、このような状況にならずに戦いを回避するには如何にすればよいか。それは一つ、己が力を付けることである。さすれば、相手はいきなり命ずる事はなく、先ず協議を呼びかけて来るであろう。そして、こちら側の意見も取り入れて決断を下す事になるのである。」
 これが戦わずして勝つ極意です。要するに、力をつけることが、戦いを避ける最善の途なのです。