第182回  「司法消極主義」

憲法第81条には、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定されています。

そこには何らの制限がありません。即ち、最高裁判所を含む裁判所は、あらゆる法律・命令・規則・処分について、それが憲法違反かどうかを判断することができるのです。

「憲法違反」と判断された場合、当然ながら、当該法律等は無効となりますので、その法律等にもとづいて築かれてきた権利関係などは効力がなくなります。例えば、「自衛隊は憲法違反である。」との判決が出ると、自衛隊の存在そのものが認められず、日本を防衛する組織がなくなることは勿論のこと、自衛隊員も職を失うことになります。したがって、「憲法違反」と判断することは、国家に対して甚大なる影響を与えるのです。場合によれば、国の在り方そのものを変えてしまうこともあるのです。
しかしながら、これまで裁判所は、「国家統治の根幹にかかわる事項」については憲法判断を避けてきました。これを「憲法判断回避のルール」と言います。おそらく、憲法判断をすると「違憲」と判断せざるを得なくなり、国に与える影響が極めて大きくなるため、意図的に判断を避けてきたのです。
このように、司法権の行使を控え目にして、なるべく国会の考え方を尊重することを「司法消極主義」と言います。

ところが、この頃の裁判所の判決を見ると、どんどんと憲法判断をするようになり、「司法消極主義」から、司法が前面に出て来る「司法積極主義」へと変更してきているのではないかと思われます。
具体的には、次のような判決です。

第1に、「性同一障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」に関する問題です。
性同一障害の人が戸籍上の性別を変更するには生殖不能にする手術が必要であるとしていた同法を違憲と判断した最高裁の判断です。要するに、男性としての生殖が可能であっても男性から女性へと性別を変更することが可能となったのです。「男性か女性は国の根幹の制度に関わる重大な問題なので判断を控える。」と判決することも出来たのに、裁判所は「積極的」に判断しました。

第2に、1票の較差問題です。
これまでの1票の較差訴訟で裁判所は、「1対3」ぐらいまでは「違憲状態」と判断し、暗に「早く1票の較差を解消しないと正式に『違憲』と判断しますよ。」と言ってきているのです。裁判所が、「積極的」に国会に対して、選挙制度を改正するように圧力を掛けて来ているのです。

第3が令和5年12月5日の仙台高裁の判決です。
安保法制につき、「明白に違憲とは断定できない。」として「違憲」ではない、としました。「明白に違憲とは断定できない。」ということは、「少しは違憲」ということです。要するに、「早く何とかしないと、そのうちに違憲と判断するよ。」ということです。即ち、「積極的」に判断したのです。

このように一連の判例の流れに照らすと、裁判所は、「見て見ぬフリ」をする立場(司法消極主義)から、「自分の意見をどしどし言う」立場(司法積極主義)へと変更しつつあります。
司法積極主義の立場に立った裁判所が自衛隊や安保法制について判断したとき、その結論は明らかです。勿論、「憲法違反」です。

そのような恐ろしい結論が下される前に憲法改正を実現し、憲法条項と実態とを一致させなければなりません。