第53回  「 権力 」

第53回  「 権力 」
- 2012年12月7日

権力
「権力」とは一体何でしょうか?古今東西いにしえから、人は権力を求めて計り知れないほどの争いを繰り返してきました。それほど魅力的なものが権力なのでしょうか。
権力は、一旦手にするとなかなかそれを手放したくなくなるもののようです。特に、普段、権力側におらず、権力と対峙する側に居る人間であればあるほど、権力を握ってしまうと決して放したくなくなるようです。社会運動・市民運動、あるいは人権派などと言われる立場に身を置き、普段は権力と戦う姿勢を示している御仁であればあるほど、一旦権力を手にすれば、いつまでもその座にしがみつく傾向にあるようです。
市民運動家出身の民主党の菅直人元総理然りです。前日本弁護士連合会の会長も、会長になる前は社会派・市民派を売り物にしていました。そして、日弁連の会長になったのです。日弁連の会長は1期2年とされており、これまでの慣例であれば1期で終わり、再度、立候補することはありません。しかし、彼は慣例を破って、再度、日弁連の会長に立候補しました。そのため、日弁連は選挙を繰り返し、会長が決まるまで約4ヶ月もの間、前会長が会長の座に居座り続けるという極めて変則的な状況になったのです。さらに、今回の東京都知事選に出馬するというのですから、権力の味が忘れられないのでしょう。また、労組系の以前の大分県弁護士会の会長も、まだ会長になる前の時点では「自分は会長なんかにならない。」と言いながら、いざ会長の時期になると自ら進んで立候補し、任期1年が過ぎると、「もう1年やりたい。」とのたまう有様。結局、かかる慣例違反が通るはずもなく、彼は1年で会長を降りましたが・・・。

これほど、権力は魅力的なのでしょう。そして、権力の座に長年居れば居るほど、周りには自分の意見に従うイエスマンしかいなくなり、ついには裸の王様になってしまう。前の某県知事のように、7選もすると、意見の出来る側近が一人もいなくなり、最後は「天皇」と言われ、おきまりの箱物行政になってしまうということになるのです。
NHKの大河ドラマで「平清盛」が放送されていますが、「平氏にあらずんば、人にあらず。」という言葉が残っているように、清盛の頃からも同じようなことが繰り返されていたことがよく分かります。このように、「権力は絶対に腐敗する」ので、権力を握る人間は、このことを肝に銘じなければなりません。そして、自分に意見する者、自分にとってうるさい存在の人間を大事に扱い、耳障りのいいことしか言わないイエスマンには注意するということが大切なのではないでしょうか。でなければ「おごれる平氏、久しからず。」という結末になってしまうでしょう。
何年か前、宮崎県の椎葉村に迷い込んだことがあります。いわゆる平家の落人の村です。鹿と猪しかいないような山深い地です。よく、ここまで逃げてきたと感心します。強大な権力の座にしがみつけばつくほど、その座から転げ落ちたときの落差を、如実に物語っているような気がしました。

野田総理が衆議院を解散し、世の中は選挙モードに突入しています。いろんな人々がいろんな党を作って離合集散を繰り返し、「権力」を求めて蠢いています。誰が権力の頂点に立つにせよ、「おごれる平氏、久しからず。」とならぬことを祈るのみです。