第50回  「 企業のこころ 」

第50回  「 企業のこころ 」
                                                         - 2012年9月7日

企業のこころ
 これは古くて新しいテーマです。いろんなところで議論がされています。企業(代表的な株式会社)では、株主・役員・従業員・債権者(銀行を含む)・取引先・下請企業・出入りの業者などなど多数の個人や法人が、関わりを持つようになります。たいていの中小企業は、創業者が、自分の思い入れ・理念・目的など精神的なものを注ぎ込んで作ったと思われます。しかし、企業の経営が悪化したり、後継者がいなくなったりした場合には、近時、企業の譲渡・買収、いわゆる「M&A」などが頻繁に行われるようになりました。

 確かに、我々が大学で習った法律の授業では、「会社は株主のものである。」と教え込まれました。株式を譲渡すればオーナが代わり、新しいオーナーがその会社を支配することは可能になります。M&Aなどを行う場合に、このような株主の変更がなされることが一般的です。しかし、オーナーが代わったからと言って、企業の社会的な存在価値が変化するわけではありません。例えば、建設業の場合、仮に飲食店経営者がオーナーになったからと言って、その会社が建設を通して一般社会に奉仕することは必要ですし、また、そこに働く職人さんなどは建設業に携わる者としての誇りを持っていると思います。そのような、会社の持っている「理念」や「誇り」というものが、オーナーが代わることによって変容されてしまうことは、あってはならないと思います。

 しかし、近時は、会社を単なる利益を生み出す「商売道具」だと考えてM&Aをしている企業買収者がたくさんいるような気がしてなりません。金を生み出す会社だから、その会社を買う。しかし、金を生み出さなくなれば、その会社を放り出す。その際、なるべく利益を手にして放り出す。そのような状況の中で、会社が、オーナーの手を二転三転とされたとき、そこで働く従業員の気持ち、あるいは取引先・下請企業の気持ちはいかなるものでしょうか。一時期、「ハゲタカファンド」という言葉が流行りました。日本の株が低迷しているときに、外資が、とにかく株を買い漁って、値段の下がっている日本の優良な中小企業を手に入れていくということです。それまで、経営者と従業員が家族的に働いていたものが外資系企業が買収することによって、そのような関係が薄れ、非生産的な部門がどんどんどんどん切り離され、利益を上げる部門しか残されないということになって行ってしまいました。創業者がどのような「思い」を持って、その会社を作ったかということに思いを致すとき、会社があたかも商品であるかのごとく評価され、値踏みされ、転々と人から人の手に渡っていってしまうということに一種の寂しさを感じるのは私だけでしょうか。

 企業買収やM&Aが悪いとは言いません。しかし、そこには、会社を作った人、従業員など取り巻くいろんな人たちが絡みあっており、その人たちの思いや会社の社会的使命などをも一緒に引き継いでいって欲しいと思うのです。会社の「こころ」も引き継いで欲しいのです。
 不景気な状況が続いており、これからも企業買収・M&A・事業譲渡などが頻繁になされるでしょう。その際、是非、会社の「こころ」までも新しいオーナーに引き継いでもらうようお願いして欲しいと思います。日本的な経営は欧米に比べて、まだセンチメンタリズムが強すぎると言われますが、欧米の経営・教育が決して良いというものでもありません。古き良き日本的経営を今後も続けて行こうではありませんか。