第157回  黒い雨

「疑わしきは、これを罰せず。」「疑わしきは被告人の利益に。」等々。

「疑わしきは・・・」という文言で始まる文章が刑事事件の分野ではいろいろあり、これが刑事訴訟を貫く基本理念であると言われています。

2021年7月14日、広島高裁は、広島へ原爆が投下された後に放射性物質を含む「黒い雨」(※①)を浴びたとして被爆者健康手帳(※②)の交付を求めて訴訟を起こした住民84人全員を被爆者と認め、国に対して被爆者健康手帳の交付を命じる判決を言渡しました。

この広島高裁の判決に対し、国は上告をしませんでした。したがって、この広島の84人全員に対しては被爆者健康手帳が交付されます。同様の裁判は長崎でも続いているようです。

この判決に対しては、黒い雨が降った区域の中で現実に疾病が出た人に限って被爆者健康手帳を交付してきていた今までの行政のやり方と違い、被爆者になった「疑い」しかない人にまで保護の対象を広げるものであるから不当である、との意見もあります。

確かに、住民の方々の中には真に被爆していない人もいるかも知れません。あるいは、被爆の「疑い」はあるものの、疾病の客観的な立証まで出来ていない人もいるでしょう。しかし、老齢になった方々に残された時間はありません。1つの「黒」を見逃さないために9つの「白」を犠牲にするのか、9つの「白」を救うために1つの「黒」を見逃すのか。判断者にはむずかしい決断を求められる場面でした。この場面で、判断者である広島高裁は後者の立場をとったのです。

「疑わしきは切り捨てる。」ではなく、「疑わしきは救済する。」という考え方をとったのです。

冷徹・客観的に判断するのか、判断の中に血を通わせるのか。どちらが正しいのか一言では言えません。しかし、裁判というものが、血の通った人間同士の争いである以上、最終的な判断も血の通ったものでありたいものです。今回の広島高裁の判決は、冷徹であるべき判決に血を吹き込むことによって温もりを与えることになったのです。「疑わしきは・・・」という言葉は民事事件の現場ではあまり使われて来ませんでしたが、民事・刑事を問わず、事件処理の底流を流れる基本原理であることを痛感した次第です。

そして、上告をせず、この広島高裁の判決を確定させた政府の判断にも賛辞を送りたいところです。

※①黒い雨・・・・・・・原子爆弾投下後に降る、原子爆弾炸裂時に巻き上げられた泥、ほこり、すす、放射性物質などを含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨。井伏鱒二によって小説になったこともあります。

※②被爆者健康手帳・・・「被爆者」と認定された時に交付される手帳です。これが交付されると、①年4回まで健康診断を無償で受けることができる、②医療機関で医療を受ける場合、患者負担分を支払わなくて良い、③各種手当に該当すれば、手当が受給できる、④はり・きゅう・マッサージ施術の補助、等々の各種援助がもらえます。