第154回  夜空の近さ〈モンゴルの空〉

今から数年間、九州内の弁護士の有志でモンゴルに行ったことがあります。今振り返ると、色々となつかしいことが思い出されて来ました。

①チンギスハン空港から首都ウランバートルまで、ほとんど明かりがなく、暗い夜の道路を走ったこと

②首都ウランバートルのホテルの水道が壊れていて水が出なかったこと

③モンゴル馬が意外と小さかったこと(馬の頭のてっぺんが私の背の高さよりも少し低いくらい。120㎝~150㎝くらい。)

④モンゴルの弁護士が「ワイロの運び屋」と呼ばれていること

⑤モンゴルでは、男性弁護士よりも女性弁護士の方が圧倒的に多いこと

⑥モンゴルの裁判官の給料はダンプの運転手の給料よりも低いこと

⑦モンゴルの法務大臣や副法務大臣らが我々の私的な宴会に参加してくれたこと等々。

その中でも特に印象深かったのは、星が手に届くくらいまで近くに夜空があったことです。

夜、食事の後、モンゴルの大草原に寝そべって、私の事務所から参加していたもう1人の弁護士と2人で空の星を仰ぎ、色々なことを話していました。夜空には、大小さまざまな星が散りばめられており、それこそ、手に取れば口の中に放り込めそうな近さにありました(周囲から、モンゴル馬のフンの芳しい香りがしていたのはご愛嬌ですが・・・)。富士山に登ったときに見た夜空の星よりもずっと近くにあったような気がします。

これまで様々な夜空を見てきました(①小学生の時、柿泥棒に入り、柿の木の下から見た安岐町の秋の夜空、②杵築中学校の放課後の剣道の帰り道から見た冷たい冬の夜空、③バイトで車の交通量の測定をしている時に見た東京・亀戸の夜空、④警備員をしていた東京・中野の小学校のプールの上から見た夏の夜空etc)。それらの夜空のどれよりもモンゴルの夜空の方が近くにあり、雄大であり、星がすぐそこにあるように見えました。こんな近くに空を感じていると、人間が日常気にしていることなど極めて瑣末で、「どうでもいい。」と思えて来るのです。(友人に貸した〇万円が返って来ないことなど、どうでも良くなるのです。)不思議なものです。そして、「人間」という存在がいかに小さいものであるかが良く分かります(日常的に人と人との争い事や悩み事に関与する職業の人間がこのようなことを書いてはいけませんが・・・)。しかし、このような大草原や雄大な夜空を抱くモンゴルが今から1000年ぐらい前にはアジア大陸からヨーロッパ周辺まで支配する大帝国であったことや、日本にまで襲撃をかけていたことなど、今となっては夢のまた夢です。1000年前にアジアの大草原を支配していたモンゴルの人々も大草原に寝そべって夜空の星を仰いだのでしょうか。どんな事を考えながら、東ヨーロッパ辺りで夜空を見上げていたのでしょうか。1000年前の夜空と今の夜空とは一緒なのでしょうか。

今、この書面を読まれている方の中で何かに悩まれている方、(モンゴルまで行かずとも)雄大な夜空を見上げれば解決する名案を思い付くかも知れませんよ。是非、夜空を近くに感じて下さい。そして、どうしても解決しない場合は、是非、弁護士事務所のドアを叩いてみて下さい。その時は・・・