第153回  「生きる」ことの陽と陰

先日、狂言師・人間国宝野村万作先生の狂言「靭猿(うつぼざる)」を観る機会に恵まれました。

(ストーリー)
大名(野村万作)が太郎冠者(※①)を伴って狩り出かける道中に、毛並みの良い子猿を連れた猿曳(注②)に遭遇しました。かねてから自分の靭(※③)に猿の皮を張りたいと考えていた大名は太郎冠者を通して猿曳に対して何度も「その猿の毛皮を譲ってくれ。」と迫ります。当初は困っていた猿曳ですが、大名から弓矢で脅され、泣く泣く了承しました。そして、猿曳が子猿を殺すために杖を振り上げると、猿は芸の合図と勘違いして一生懸命に芸をします。それを見ていた猿曳が、子猿が可哀想だと思い、泣き崩れます。その姿に大名は自分の罪を悟り、猿曳に対して、「もう子猿を殺さなくてもいい。」と言います。喜んだ猿曳は、大名へのお礼として子猿に踊りを演じさせます。大名も猿の踊りに気分を良くして一緒に踊りころげるのです。

ストーリーの奇抜さもさることながら、私が驚いたのは、大名を演じた野村万作先生が子猿と一緒に舞台の上を飛び跳ね、転げ回ったことです。

子猿を演じた女の子は2014年生まれの現在7歳ですので、舞台で転げ回るのは当然と言えば当然です。これに対し、万作先生は1931年生まれですから、現在90歳です。90歳の老人が7歳の女の子と一緒に舞台で跳んだり転がったりしているのです。驚異以外の何者でもありません。この芸をいつまでも演じることができる裏側には、観客に対して決して見せることのない、万作先生の永年に亘る日々の努力・鍛錬と幾多の苦悩が存在していたのだろうと拝察いたします。

万作先生の狂言を通して「生きる」ということの意味を深く考えさせられました。人間には「陽」の部分と「陰」の部分があります。往々にして陽の部分だけでその人を評価しがちです。あたかも陰の部分は無いかの如き錯覚に陥ることもあります。しかし、陰の無い人はいません。人間は陽と陰とで成り立っているのです。

これは、企業経営でも同じことが言えるかも知れません。「あの会社、あんなに儲かっているのか、いいなぁ。」「あの会社、上場したか、いいなぁ。」とか、単純に思いがちです。しかし、それはあくまでも陽の部分であり、その裏側には血を吐くような企業努力(陰の部分)があるのです。

要は、どれだけ素晴らしい陰の部分を持つかによって陽の部分の価値が違ってくるのだと思います。

今回の狂言の内容もさることながら、90歳の万作先生が舞台で転げ回る演技を観て全観客が感動とともに驚嘆したのではないでしょうか。そして、私は密かに「生きる」ということの意味を教えていただきました。

万作先生、本当にありがとうございました。

※①太郎冠者(たろうかじゃ)
武士などに仕える従者や使用人の中で最も立場が上の人の通称。

※②猿曳(さるひき)
猿に色々の芸を教え、これを演じさせてお金をもらう人。いわゆる「猿回し」のこと。

※③靭(うつぼ)
弓矢の弓を入れる入れ物。背中に背負った細長い箱型のものが多かった。