第148回  救急車の悲鳴

ピーポーピーポー・・・ 今日も鳴り響くサイレンの音。あのピーポーピーポーというサイレンの音が救急車の「悲鳴」に聞こえるのは私だけでしょうか・・・
毎朝、暗いうちに自宅を出発し、45分ほどかけて事務所まで歩いて通っています。その時、救急車のピーポーピーポーというサイレンの音をよく耳にします。早朝の静寂を破ってけたたましく鳴っているのです。多い時は一日に何回も鳴っています。あるいは私がそばを通る大分赤十字病院に救急車が横付けになり、患者さんが担架で病院内へと運び込まれている場面に遭遇したことも何度もあります。停車中、患者さんの顔を直に見ることはありませんが、救急車のサイレンは止み、赤いライトだけが不気味に点滅しているのです。その時、救急車は何かを考えているのでしょうか。
先日読んだ本の中に、アンドロイド(人造人間)が最初の頃は純粋な機械だったのが、段々と人間としての感情を持ち始めて種々な問題を引き起こしていくというのがありました。この頃は「人工知能」などというものも発生しています。そのうち人間が機械に支配されるのではないかとのかすかな恐怖心を私は抱いています。
実は私の母は私が6歳の頃亡くなりました。私は当時、その「死」の意味が分からず、「死」に対して「悲しい」という感情を抱けませんでした。翌日、学校でクラスメートたちに母が息を引き取っていく際の「死」の状況を克明に報告したという記憶があります。これに対し、4歳上の姉はその「死」の意味が十二分に分かったのでしょう、病院の母のベッドの枕もとでワーァワーァと激しく泣いていました。今でも極めて鮮明に覚えています。同じ人間でありながら、わずか4歳違うだけで「死」に対する感情がかくも大きく違っていたのです。
同じ人間でもこのように、その年齢・性別・環境等によって感情の有無や大小が違うのだから、同じ機械の中から感情を持つものが現れ始めても不思議ではありません。「知能」の次は「感情」かも知れません。「感情」と一口に言っても、その中には「喜び」「悲しみ」「怒り」「驚き」「恐れ」「嫌悪」「欲望」「尊敬」「嫉妬」など種々なものがあります。機械がこれらの感情を徐々に持つようになってしまうかも知れません。パソコンが勝手に「今度のパソコンの持ち主は綺麗な女性だから訴状を上品に作ってやろう。」とか、自動車が「今回の新しい運転手は顔が気に食わないから赤信号を無視して暴走してやれ。」などと思い始めたら一体どうなってしまうのでしょうか。特にやっかいなのは「恋愛」感情です。最初は単純に「好き」だったのが、そのうち「嫉妬」に変わり、最後は「憎しみ」へと変化していきます。種々かつ複雑な感情を持った機械がその天才的な知能で人間を支配する、そんな時代が近いうちにやって来るかも知れません。恐ろしい限りです。「人工感情」という言葉が出て来ないことを祈るばかりです。
私が毎朝耳にするピーポーピーポーのサイレンも、もしかすると感情を持った救急車の「悲鳴」かも知れません。「今日はもう5回目の出動だ。いい加減、勘弁してくれよ。」と言っているのでしょうか。あるいは「おばあちゃん、助かってくれよ。」と言っているのでしょうか。または「可愛い娘さん、良い医者にあたれよ。」でしょうか。あのピーポーピーポーというサイレンの音が救急車の「悲鳴」に聞こえてしまうのです。
いずれにせよ、救急車さん、毎日ご苦労様。ありがとう。そして、それを動かしている消防署の方々や医療関係の方々、本当にありがとうございます。コロナ禍で大変だとは思いますが、あと少しですので、頑張って下さい。あなた方の懸命な活動を陰から応援している者の一人としてエールを送らせていただきます。