第147回  とどまる勇気、引き返す勇気

新年あけましておめでとうございます。どうか本年もよろしくお願いいたします。昨年5月の休日、一人で高山植物ミヤマキリシマを観賞しようと思い、くじゅう連山の一つ「平治岳」へ登りました。頂上で昼食後、下り始めてしばらくしてから下り口を間違えたことに気付きました。平治岳は頂上が狭く、下り口を間違い易い山であるということを失念していました。気付いた時点で頂上まで引き返して、もと来た下り口からきちんと下り直せば良かったのですが、「また頂上まで登っていくのが、よだきぃ!」と考え、道かどうか分からないような風倒木が沢山倒れている山の中を進んで行きました。「引き返す」という「決断」が出来なかったのです。結果、迷子になり、あと少しで竹田警察署に救助されるというところまで行ってしまいました。(かなり動揺していたせいか、110番にかけるところを100番にかけ続け、「現在使われておりません。」というお言葉までいただきました。)

「道を間違った。」と気付いた時点で、(仮によだきかろうと)頂上までもう一度登ってもと来た道を下っていれば、このような失態はさらさなかったのではないかと思います。

(「そもそも、たった一人で登るのが間違っている。」とのお叱りの声も聞こえてきそうですが・・・。)

閑話休題

「断捨離」という言葉があります。使わなくなった不用品を捨てるという意味だそうです。使わない物をどんどん捨てればいいのですが、愛着のある物(者?)をどんどん捨てることは忍び難いものがあります。人間には二種類の型があるそうです。一種類の型は、不用となったものをどんどん切り捨てていくことができる人(「即決の人」)。もう一つは、仲々、切り捨てることができず、決断を先延ばしにする人(「先延ばしの人」)。「即決の人」は決断力があり、身の回りはきれいになりますが、周囲との軋轢が生じます。「先延ばしの人」は、決断力がなく不用品が周りにたまるけど、周囲と円満にやっていけるそうです。あなたは、一体、どちらの型でしょうか。

人生60年をとうの昔に過ぎました。思えば決断しなければならないことの連続でした。しかし、決して決断力があったわけではありません。決断力がなく、鈍感すぎて何も決断しなかったことが「決断」と見られたりしたこともあります。周囲の人々に支えられることによって「決断」できたこともあります。

弁護士などという仕事も決断の連続です。「この相談者からの依頼を受けるか、受けないか。」「無罪を主張するか、それとも有罪は認めたうえで執行猶予狙いでいくか。」「この証人を出すか、出さないか。」「和解案をのむか、それを蹴って判決を求めるのか。」などなど。

あと何回「決断」しなければならない場面がくるでしょうか。

皆様も、それぞれの仕事や立場においてむずかしい決断を求められ続けるでしょう。あとで後悔しない様な決断をしていきたいものですね。

それでは皆様、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。