第78回  正統性

第78回  正統性
                                                          - 2015年1月9日

正統性
 「ゼロ戦」が、どうして「ゼロ(零)戦」(零式艦上戦闘機)と言われているのか知っていますか。ゼロ戦が作られた昭和15年(西暦1940年)が、「皇紀2600年」だったため、下二桁をとって「ゼロ(零)」式戦闘機としたのです。
 「皇紀」とは、日本の初代天皇である神武天皇の即位した年を元年(紀元)とする日本の紀年法です。西暦2014年は皇紀2674年です。即ち、日本が統一国家になってから2674年経っているのです。
 その間、いろいろな苦難はあったものの天皇は正統(正当)に承継されて現在に至っているのです。あの徳川家康でさえも天皇家を滅ぼそうとはしませんでした(もっとも、信長は自分がその地位に就こうとしたとの説もありますが。)。薩長連合が「錦の御旗」を立てたために旧幕府軍が敗れたのも、天皇に「正統性」があると考えられたためです。
 権力の移譲が行われた場合、誰もが納得する場合は「正統性がある」と言い、納得しない場合は「正統性がない」と言ったりします。その意味では、皇位継承については2600年以上の間、「正統性」があったと評価してよいでしょう。
 この「正統性」を作り出すために、「易姓革命」(徳を失った前王朝を滅し、徳のある新王朝が樹立されるとする、儒教的な革命理論)の国、中国では新しい国が興るたびにその国を美化する歴史書を新たに編纂していると言われていますし、北朝鮮などは社会主義国であるにもかかわらず「世襲制」を取り入れているのです。日本の中小企業も「世襲」がよく行われていますが、これは何となく皆が納得しやすく、権利の移譲に「正統性」が認められやすいからです。天皇家ももちろん世襲制です。革命で権力を手に入れた場合は、その指導者をカリスマ化して「正統性」を出そうとする例(例えばキューバ革命のカストロ、イラン革命のホメイニ師、中国の毛沢東など)が多いようです。
 近時、「事業譲渡」「企業売買」などという言葉が盛んに飛び交っていますが、ただ単に金額だけで譲渡を決めた場合、必ずと言っていいほど結果的にうまく承継できません。そこには「正統性」がないからです。企業は、モノではありません。株主、役員は勿論のこと、従業員、取引先、顧客などという有形なものに加え、「信用」、「社風」、「理念」などという無形のものから複合的に構成されているものです。大分のある有名な会社もファンドに買収され一時的には延命しましたが、最後は紙クズのようにされてしまいました。そうなると創業者は勿論のこと、一番迷惑を蒙るのは従業員であり、お客様です。事業譲渡を行う場合、いかにしたら「正統性」を保てるかという視点を絶対にはずすわけにはいきません。ただ、その内容はケース・バイ・ケースで異なってきます。場合によれば、しばらくの間、前経営者に役員として留まってもらうことも必要でしょう。当該事業譲渡の場合、どのようにすれば承継に正統性が認められるかを、譲渡人と譲受人とが真剣に議論するべきでしょう。
 衆議院選挙が終わり、安倍晋三総理が続投することになりましたが、「選挙」は民主主義社会における権力移譲の場合の最も代表的な「正統性」付与の手法です。したがって、誰も安倍氏の総理就任に異議を唱えることはしないのです。安倍政権が少しでも長く続いて、念願の憲法改正を為すように祈念しています。