第131回   民法改正

民法改正

日本は法治国家です。北朝鮮のような人治国家ではありません。国会で定めた法律に従って政治が行われるという建前をとっています。したがって、国会の第1番目の大きな仕事は法律を作ることです。我が国には約2000もの法律が存在していますが、もっとも身近なのが民法です。民法とは読んで字の如く、「民(みん)」即ち「民(たみ)」に関する法律です。分かり易く言うと、個人対個人や親子や夫婦などの関係を規律する法律です。国対国民の関係を規律する憲法や、犯罪に関するルールや刑罰を定めた刑法とは大きく異なります。民法の中には、大きく分けて、①総則(一般的な条項を定めたもの)、②物権法(人対物に関する関係を定めたもの)、③債権法(人対人の関係を定めたもの)、④親族法(家族間、あるいは夫婦、親子に関する問題について定めたもの)、⑤相続法(人が死んだ後の財産関係がどのような権利関係になるかということを定めたもの)があります。このすべて我々にとって極めて身近な法律ですが、その中でも、来年、約120年ぶりに債権法の分野が大きく改正されます。そのため、現在、我々法律関係者も改正される内容について勉強会などを行っているところです。

さて、話が変わりますが、民法といえば、私には大きく悲しい話があります。私は受験を何年かやりましたが、最終合格する前の年は早稲田の中でもかなり上位の方にありました。早稲田大学の法職課程(早稲田大学のOBが参加する受験団体)の会員は恐らく1000人を超えていたと思いますが、その中でトップから何番目という成績でした。そのため、「間違いなく、今年、古庄は司法試験に最終合格する。」というのが早稲田大学の中でもっぱらの評判でした(余談になりますが、元防衛大臣の稲田朋美さんも同じ法職課程に所属しておりました)。私自身もその年は、「間違いなく最終合格するだろう。」と思っていました。当時の司法試験は、①憲法・民法・刑法の3課目から成る択一試験(競争率10倍)、②憲法以下7課目から成る論文試験(択一試験合格者の中から競争率6倍)、③同じく7課目から成る口述試験(競争率ほぼ95%)という3段階の試験になっていました。春に実施される択一試験は例年通り合格し、5月の連休に実施される論文試験7科目も今年は間違いなく合格するだろうと思っておりました。その年から、自分がどれくらいの成績だったのか分かるように、法務省が成績発表をしてくれるということになっていました。各科目と総合成績がいずれもA・B・C・D・E・Fの6段階で評価され、総合成績Aの450人だけが合格することになっていました。

ところで、今だから言えますが、私は論文試験の民法で大チョンボしてしまったのです。論文試験は2問質問されますが、そのうち1問の出題の意図を取り違え、まったくちんぷんかんぷんな内容の論文を書いてしまったのです。結果は勿論、不合格。科目別の成績は民法以外はすべて「A」で、民法だけ「E」となっており、総合成績は「B」でした。私自身、民法は好きな科目だっただけに、民法で大チョンボをしてしまったことに計り知れないほどのショックを覚えました。しかも、「古庄は間違いなく最終合格するだろう。」と早稲田の法職課程で言われていただけに尚更でした。不合格発表の夜、公衆電話から、田舎で息子から「合格」の電話を首を長くして待っている父親に「不合格」の電話をしました。そのとき、電話の受話器の奥から聞こえてきた「わかった。よく電話してくれた。」との父親の言葉は今でも残っており、忘れることはできません。国東の田舎にいながら、東京に出て行った息子が司法試験などというとんでもない試験を受け始め、通るか通らないかもわからない中で仕送りを続けてくれた父親に対して何と言葉を返していいかわかりませんでした。親の存在をつくづくありがたいと思ったのは言うまでもありません。民法の出題の意図を取り違えて大チョンボをした自分の馬鹿さ加減に辟易すると同時に「来年こそは絶対に最終合格しなければならない。」という思いを強くしたのでした(勿論、「民法でチョンボをしない。」というのが大前提です)。

このように、民法に対して私は特別な思い入れがあります。その民法の中でも中心的な項目である債権法の分野が大幅に変わるということに月日の流れを強く感じています。「日本で一番難しい。」と言われた司法試験も、定員を増やしすぎて合格者の質も落ち、超難関国家試験と言われたことは遙か昔のことのようです。法律は時代の要請とともにどんどん変わっていきますが、それを使う人間の心はいつまでも変わらないでもらいたいと願う今日この頃です。このようなことを考えるのも私が年をとったからでしょうか。あのとき、「よく電話してくれた。」と言ってくれた父の年齢をもう超えてしまっていることに、ふと気が付きました。