第84回 表現の自由
- 2015年7月3日
表現の自由
憲法21条1項は、「集会、結社・及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と規定しています。表現の自由が憲法上保障されている理由については今更言うまでもありません。自分が考えていることを自由に発表できてこそ民主主義が成り立つからです。中国や北朝鮮など共産党独裁国家においては表現の自由がありません。表現の自由が無くなれば、それは民主主義の崩壊につながります。この表現の自由を支えているのが報道の自由であり、報道機関による取材の自由です。これらが健全に機能することによって民主主義国家が健全に維持されていくのです。
ところで、6月25日に自民党の若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」の中で、自民党の若手議員が安保法案を批判する報道に関し「マスコミを懲らしめるには広告料収入を無くせばいい。」と発言したり、沖縄県の地元新聞が政府に批判的だとして作家の百田尚樹氏が「2つの新聞は潰さなければいけない。」などと述べたことが問題であるとして、マスコミを賑わせています。
これらの発言は2つの意味で支持できません。1つは表現の自由の重大性を認識していないという意味で、もう1つは軽率のそしりを免れないという意味で。
この発言を聞いたとき私の脳裏をかすめたのは幕末における水戸や長州の強硬な攘夷論です。当時の日本の国際的な位置などを考えずとにかく外国船を打ち払うともので戦略も何もなく、単に感情に任せて行動しているとしか言えないものでした。ただ、この自民党の会議の発言に関しては、百田氏と自民党の若手議員達とを一蓮托生で論じることは間違いです。それぞれ立場の違いがあるので、それを考慮しなければなりません。百田氏については、「永遠の0」を始めとして、彼の書いた小説は私も何冊か読んでいます。考え方は私と近いものがあると思いますが、若干発言が軽率であったかと思います。確かに百田氏の言うとおり、沖縄の地元新聞紙2紙がかなり強硬な左がかった新聞であることは周知の事実ですが、「2つの新聞は潰さなくてはいけない。」などと言ったら駄目です。本当に潰したければこのような場所で発言するのではなく、もっと戦略を練っていかなければなりません。戦略もなく声高に罵るだけでは攘夷の志士達と変わりがありません。しかし、あくまでも百田氏は権力を握っていない単なる一市民に過ぎないのです。したがって、百田氏がどのような意思表明をしようとそれは百田氏の表現の自由であって、これは必ず保護しなければならないものです。これに対し、自民党の若手議員達はあまりにもお粗末と言わざるを得ません。彼らは百田氏と同じような単なる一市民ではありません。権力を握っている立場の者です。このような立場にある者がその後の影響も考えず、前記のような発言を繰り返すのはまったく思慮分別に欠ける所為だと言わざるを得ません。このような議員達を抱えている自民党そのものの評価が下がることは明らかです。自民党本部がこれら若手議員達をすばやく処分したのは当然の措置と言えるでしょう。幕末、徳川幕府が攘夷を唱えて外国と戦争していたら日本はどうなっていたでしょうか。あの当時、徳川幕府、その中でも特に徳川慶喜がのらりくらりしながら幕府としては攘夷を実行しなかったからまだ日本は国家として存在できたというふうに私は考えています。権力の側にある人間はそれなりに行動や発言に責任を持たなければならないはずです。