第72回 否 認
- 2014年7月4日
否 認
この頃、不倫をめぐる争いが増えています。
女房に不倫を疑われた場合、事実であったとしても、婚姻関係を維持したいのであれば決して認めてはなりません。短気を起こして、「おお、そうじゃ。それがどうした。」などと開き直ってはいけません。女房も、引くに引けなくなり、あとは、離婚の道に突き進むしかなくなります。
中国の漢の末期、三国時代(紀元200年頃)が始まった頃、魏の曹操(そうそう)が「魏王」を名乗ったことから、漢の皇帝をないがしろにするものであるとして、曹操の部下たちの中から謀反が起こりました。曹操が首謀者を捕まえて拷問にかけ全部の共犯者の名前を書かせたところ、曹操の長男である曹丕(そうひ)の名前が共犯者リストの末尾に書かれていました。曹操が曹丕を詰問するも、曹丕は、師匠と仰ぐ司馬懿(しばい)から「最後まで絶対に認めてはなりません。」と言われていたため、父である曹操からどんなに脅されようと決して認めませんでした。曹操は、それ以前に発生した四男の不自然死(毒ネズミにかまれて死んだ)の犯人も曹丕であろうと思っていたため、なかなか、曹丕を信用しません。とうとう最後に、「そこまでお前が否認するのなら天意にまかせる。手で握った碁石の数が奇数なら、お前の言うことを信用して殺さぬ。偶数なら、お前を斬る。」と言って、碁石入れの中の碁石を左手で掴み1個ずつ碁盤の上に並べ始めたのです。観念した曹丕は目をつぶっています。曹操の左手の中の碁石は6個しかありませんでしたが、曹操は曹丕が目をつぶっていることを奇貨として、碁盤の上にあった別の碁石をあと1個持ってきて7個目を並べて奇数とし、曹丕を許したのです。「息子を信じたい。」という「親としての情愛」が「天意」となった瞬間です。
女房に浮気を追及される局面も、この曹操と曹丕の場合に似ています。「夫を信じたい」という妻「夫婦の情愛」を信じて、最後まで否認を貫けば何とか修羅場は切り抜けられるかもしれません。妻の情愛が「天意」に代わることに一縷の望みを託すのです。
これは、親子間や夫婦間の情愛が多少なりとも残っており、かつ、決定的な証拠が?まれていない場合には通用します(かも知れません)。しかし、決定的な証拠がある場合には決して通用しませんし、警察での取り調べでも通用しませんので、ご注意下さい。
尚、曹丕は曹操の死後、漢の皇帝である献帝を追放し、魏の「皇帝」になりました。三国(魏・蜀・呉)が鼎立した三国時代の幕開けです。