第63回 「 共犯者の自白 」
- 2013年10月4日
共犯者の自白
大阪地検元特捜部長大坪弘道と元副部長佐賀元明に対する証拠隠滅事件の大阪高等裁判所の判決が出されました。一審どおり有罪を認め、控訴を棄却しました。この裁判は、元大阪地検特捜部検事前田恒彦が証拠のフロッピーディスクを改ざんしたことにつき、故意の改ざんであるという報告を受けながら隠蔽したのか、過失であるという報告しか受けていなかったのか、というのが争点でした。過失であるという認識であれば、証拠隠滅の共犯には該らないという主張です。
この点につき、共犯者であり実行行為者である前田元検事は、「故意に改ざんした。」ということを大坪元特捜部長や佐賀元副部長に告げたという供述をしています。これに対し、大坪元特捜部長や佐賀元副部長は、そのような報告は受けておらず、「間違えて変えてしまった。」という報告しか受けていないというものでした。
刑事訴訟法上、証拠が本人の自白しかない場合は有罪とすることはできないとする大原則があります。しかしながら、このように共犯者のうちの1人が自白した場合、その共犯者の自白を根拠に、否認している他の共犯者を有罪にするのがこれまでの警察・検察・裁判所が行ってきた常套手段です。弁護士の立場から言えば、複数人で犯行を行ったとされる共犯事案の場合、一人でも嘘の自白をしてしまえば、残りの人間達がいくらそれを否認しようと絶対無罪にはならないと言うのが偽らざる感覚です。これまでも、罪の軽い方の共犯者が自白したために、罪の重い主犯格の共犯者が否認しているにもかかわらず有罪判決を受けたことは、ホリエモンや村上ファンドのみならず、大分の著名な事件でも多々あります。裁判所が、このような場合に主犯格を有罪と認定するのは、一人の共犯者が認めた以上、それが真実であり、主犯格の人間が否認していたとしてもそれは信用できないという考え方からです。
しかしながら、共犯者の自白が100%信用できるという保証はどこにもありません。「司法取引」という言葉もありますが、罪の軽い人間は、嘘でもいいから罪を認めて執行猶予付判決を狙うということも考えられます。これまで虚偽の自白で有罪判決が為されてきたことは過去における刑事裁判の歴史から明らかです。足利事件(注・少女を殺害したと自白した犯人が、服役後、DNA鑑定したところ、別の人のものであることが明らかになった事件)など典型的な例です。しかし、裁判所は、未だに、自白する人間は嘘を言わないという凝り固まった感覚を捨て去れないようです。
大坪元特捜部長や佐賀元副部長が、真実、証拠隠蔽を知らなかったどうかはわかりません。しかし、少なくとも、彼らが、今まで被疑者を取り調べ、強引に自白させ、刑事裁判にかけ、有罪の判決をもらって溜飲を下げていたことは間違いありません。その彼らが作り上げてきた刑事司法が、今、逆に自分達に襲いかかってきているということを、彼らは身にしみて感じているのではないでしょうか。如何なる思いの中で、今回の「控訴棄却」の判決を聞いたのでしょうか。
もっとも、鹿児島の志布志の選挙違反事件のように、アリバイがあるにもかかわらず、それを無視して強引に自白をとったケースもあります。このような場合、その自白は客観的事実と異なっているので最終的には覆されることになりました。しかし、大半の事件は、客観的証拠が無く、「言った」とか「言わない」とかという事件がほとんどです。
このように、「共犯者の自白」は、自分の罪を軽くするために誰かに罪をなすりつける、複数犯にして自分の役割を小さく見せたい、あるいは、純粋に記憶間違い、など様々な原因により為されることがあります。しかし、現実は、そのような虚偽の「共犯者の自白」が為されることはないだろうという安易な考えに基づいて刑事裁判が進んでいることは本当に恐ろしいことだと思います。