第60回  「 引き際 」

第60回  「 引き際 」
                                                         - 2013年7月5日

引き際
 全日本柔道連盟の上村春樹理事長がなかなか辞任せず、全柔連内部から解任の動議が為されるなど、ますます昏迷を深めています。自ら引き際を見定め、これを決意することは、産みの苦しみより難しいと言われています。特に、現在の地位が利益や権力と深く結びついている場合には、なお、いっそう難しいのでしょう。弁護士なども、70歳になろうと80歳になろうと、まだ身体が動く間は弁護士を続けており、自ら身を引くという例はほとんど聞きません。場合によれば、弁護士自身はほとんど身体が動かないのに、弁護士の看板を使ってその弁護士の近親者が弁護士業務を行うという悪しき例もないではありません。

 だからこそ、潔い引き際を見せた人は、後世、高く褒め称えられるのでしょう。例えば、西郷隆盛は明治新政府において征韓論争で大久保利通、岩倉具視などに破れ、潔く参議を辞職し、鹿児島に下野しました。それ以後は鳥などを射て猟師をしていましたが、私学校を中心とする鹿児島に集まった不平士族などに押される形で西南戦争における薩摩軍の旗頭となり、城山において自決しました。この時、西郷さんが下野せず、参議や陸軍大将の地位に綿々と固執していたならば、西郷さんに対する今日の評価はなかったことでしょう。
政治家の資質という面からすれば西郷さんより大久保利通の方が数段上であったと言われています。しかし、鹿児島において西郷さんを英雄視する声はあれど、大久保利通を英雄視する声がほとんど無いのは、このような西郷さんの引き際の美しさによるところが大であると考えられます。(勿論、人間としての魅力が第一ですが・・・。)
 企業においても然り。社長がいつまでも君臨していたり、名目上、社長の地位を譲ったとしても、今度は会長として院政を引くという例は数多く見ますが、そのような会社はなかなか発展しないと思われます。以前、ある会社を訪問した際、会長室が社長室の3倍くらいの広さがあり、来る客すべてはまず会長に挨拶するという感じで、さしずめ社長は会長の秘書課長に過ぎないと拝察しました。しかし、これでは、会社の経営の実権を社長に譲ったとは到底言えません。
 今日、事業承継がいろいろなところで語られています。ひと口に「事業承継」といっても、その手続きはかなり複雑で、当事務所で試算したところ、足かけ10年程度の年月は必要であろうと考えております。したがって、10年ほど前から計画的に事業承継の手を打ち、最後は潔く身を引き、引き際の美を見せるのが会社経営者としての本懐ではないでしょうか。