第55回 「 国力 」
- 2013年2月8日
国力
国力とは一体何なのでしょうか。
先般、ソウル高裁が、靖国神社の神門に放火した疑いで日本が韓国政府に身柄引渡を要求していた中国人容疑者に関し、「政治犯」に当たるとして引渡の拒否を決定し、中国に帰国させてしまいました。理由は、靖国神社は侵略戦争を主導しA級戦犯が合祀されている施設であるところ、同中国人容疑者の放火は日本の政策変更を狙った政治的な目的による犯行なので引渡を拒否できるというものです。しかし、このような論理がまかり通るのであれば、靖国神社に対して何をしようと政治犯罪になるということになります。およそ法律の専門家が判断したとは思えないようなソウル高裁の判断です。
靖国神社は幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、日本の国内外の戦争等で国事に殉じた軍人・軍属等の戦没者を英霊として祀っているもので、その数は現在約250万柱に及ぶと言われています(ちなみに、坂本龍馬は祀られていますが、西郷隆盛は祀られていません)。特に、大東亜戦争では213万柱の英霊が祀られています。
日本のために戦って亡くなった人を祀る極めて崇高な場所に火を付けた人間を無罪放免とするなど、日本に対する冒涜以外の何者でもありません。昔から「火つけ」は極めて重大な犯罪で、死刑もあります。A級戦犯ということがよく言われますが、A級戦犯と呼ばれる人々を有罪とした東京裁判が、歴史学者・国際法学者・法律学者の間では無効な茶番であることは現在では定説となっています。A級戦犯等の選定についてもGHQが場当たり的に選んだものであって、そこに合理性はありません。A級戦犯をはじめとする戦犯の人たちと日本国民を分断し、日本国民はA級戦犯らによって被害を被った被害者であるというのがGHQが戦後日本を統治するための占領政策として取った作戦です。日本が大東亜戦争に突入していったのは、欧米列強からの植民地化を免れるために富国強兵の道を歩み、明治維新・日清戦争・日露戦争という大きな戦争を戦い抜いたことの延長線上にあるのです。たまたま東条英機が総理大臣になっていたものの、他の人間が総理大臣であったら戦争を回避できたというものでもないでしょう。ペリーの黒船が来なければ、日本が富国強兵の道を歩むこともなければ、戦争をすることもなかったでしょう。
しかし、ソウル高裁は先に述べた極めて不当な論理で中国人容疑者を釈放してしまいました。これは、こういう判断をしてもたいしたことはないという意識の表れであり、日本という国をソウル高裁の裁判官(ひいては韓国人全般)が見下しているからに外なりません。日本の国力が強ければこのような判断はされなくて済んだでしょう。思えば、1910年の日韓併合の際は韓国側から併合の話が持ち上がり、日本は米英などの賛同を得て併合したという経緯があります(イギリスやフランスが力で植民地化したのとは全然違います)。要するに、韓国は清やロシアよりも日本の傘下に入ることを選んだのです。
それは何故か。その当時、日本には国力があったからです。しかし、今の日本には国力が無くなったので韓国が日本の意見に従うということはあまり考えられません。経済においても、家電分野ではソニー、シャープなど日本のメーカーの凋落が著しいのに対し、サムスンのような韓国企業は世界を席巻しています。そもそも、中国の冊封体制の中、韓国は常に中国を宗主国と見、日本を弟分として見てきたという歴史的背景もあります。
国力とは、独立国としての自覚・意思、経済力、軍事力、文明力等の総体を指すと考えられます。
今、ここで何とか日本の国力を回復しなければ、このような不合理な裁判がますます横行するのではないでしょうか。