第54回  「 国家の骨 」

第54回  「 国家の骨 」
                                                         - 2013年1月11日

国家の骨
 衆議院選挙は大方の予想通り民主党が大敗し、自民党が飛躍的に勢力を拡大しました。民主党政権のあまりのお粗末さに嫌気がさした国民の選択と言えます。当然といえば当然の結論でした。各政党は選挙前にいろいろな事を公約として掲げていました。憲法改正、脱原発、経済再生、TPP問題などなど、挙げればきりがありません。
 その中で、最も重要だと思うのは、日本という国にとって何が骨格となるべきものかという点です。人間の身体に骨、筋肉、贅肉、血液などがあるように、国にも骨、筋肉、贅肉、その他もろもろがあって然るべきと思うのです。例えば、経済。国にとって、経済とは筋肉に等しいものであって、経済が活性化しなければ国が細くなってしまう。バブルなどというものは国の贅肉みたいなもので、無ければなくてもいい、むしろ、そぎ落とした方がよかったのかも知れません。金融は血液でしょうか。

 それでは、日本にとっての骨とは一体何なのでしょう。思うに、大東亜戦争で負ける前の日本には一本の骨があったような気がします。それは先祖を尊び、国家を守る、あるいは家族を守るという旧憲法(大日本帝国憲法)や教育勅語に欠かれていたような精神構造であったのではないでしょうか。特に、旧憲法は、立憲君主制を柱とする極めて格調の高いものでした(旧憲法というと、すぐに「軍国主義」と結びつける人がいますが、そういう人に限って、旧憲法を読んだことすらないのです)。
 しかし、大東亜戦争で負け、アメリカ軍の支配下に置かれ、家族主義は排斥され、義務は無くなり、個人の自由だけが過度に強調されるようになりました。その中で、国を守るという意識も薄れ、家族を守るという意識も薄れ、言葉だけの個人主義が横行するという状況になっていってしまいました。骨がないのはクラゲと同じす。心棒が通っていない以上、他国から甘く見られるのは必然と言えます。

 そんな中で、かろうじて国家観を感じられる政党は自民党と日本維新の会ぐらいだったような気がします。民主党が骨のないクラゲ政党であったために、一本骨の通った政党を期待するということで自民党が票を伸ばしたのではないでしょうか。憲法改正の論議をすると右翼だタカ派だという言葉狩りをする人が沢山います。しかし、日本の現憲法はアメリカが日本を統治するために作った憲法であって、日本の伝統的な文化・価値観を殆ど取り入れることなく作られました。特に憲法第18条の「奴隷的拘束からの自由」などという言葉は、奴隷制のあったアメリカでは理解できるものの、日本には奴隷制などありませんでしたので、かかる言葉さえ違和感を感じます。このような点一つ取ってみても、如何に日本の憲法が日本の国情にそぐわないかがわかります。「憲法を絶対に変えてはならない。」などと言っている政治家は、いったいどこの国の政治家かと言いたくなります。

 中国の軍備拡大路線はすさまじく、習近平に至っては胡錦涛以上に反日的な動きを活発させるでしょう。特に尖閣問題を巡っては日中が部分的衝突をする可能性もあります。北朝鮮は北朝鮮でミサイルを打ち上げ、アメリカをも核ミサイルが到達する守備範囲に収めたといって大喜びの状態です。ロシアはこれまでほとんど開発してこなかった北方領土に力を入れ、日本に返還する気はまったく無さそうです。このように日本を取り巻く状況は極めて緊迫しています。このような時に、日本が骨のないクラゲのような国家であって良いはずがないと思うのです。まず、骨格を作り上げる。そして次に経済を再生して筋肉を作り上げる。骨さえ太いものが通っていれば少々食わなくても生命活動は維持できます。しかし、骨粗鬆症のような骨にいくら贅肉を付けたとしても骨はすぐ折れてしまうでしょう。バブル期の日本はまさにそのような状況であったと言わなければなりません。
 来年はなお一層景気が厳しいことが見込まれます。だからこそ、国家の骨格を作ってもらいたいと思うのです。