第47回 「武士は食わねど・・・」
- 2012年6月1日
武士は食わねど・・・
私の知り合いの都町のスナックのママ。今年、77歳になるのに、まだ1人で頑張って店をやっています。常連客が、「ママ、そろそろ引退したらどうね。」と言っても、「私は、年金もないし、独り身だし、生活保護などもらうことは考えていないので、死ぬまで働かなきゃならないの。」と笑っています。
お笑い芸人「次長課長」の河本準一が年収5000万円以上あるにもかかわらず、その母親が14年以上にわたって生活保護を受給していたということが問題になっています。しかも、河本が、「もらえるものはもらわにゃ損や。」みたいな発言をしていたことから、さらに波紋は大きくなっています。
現在、日本での生活保護受給者は209万7401人で、生活保護費は年間3兆7000億円以上になっています。聞くところによると、生活保護費は1ヶ月だいたい14万円ですが、それ以外に、医療費がタダ、介護費がタダ、住民税がタダ、出産費用がタダ、葬祭費用がタダ、NHK受信料がタダ、JRの定期が割引などなどの特典があり、400万円程度の年収のある人と同じくらいの生活レベルと言われています。私の依頼者の中にも、まだ40代で、どう見ても健康そうに見えるにもかかわらず、無職で生活保護をもらっているという人がいます。思わず、「お前、若いんだから働けよ。」と言いたくなりますが、それを言ってしまうと2度と来ないので、ぐっと我慢しています。
かつて、日本には「恥」の文化がありました。また、「人様に迷惑をかけない」という文化もありました。人様に施しを受けるということは恥ずかしいことであり、なるべくなら、人に知られたくありません。「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるように、如何に生活が貧しく食うに困っていても、それを表に出さないという「見栄」の文化もありました。
本当に身体に障害があり、働けず、国が保護をしなければ死んでいくという状態の人に対して憲法25条が最低限の文化的な生活を保障をするとしたことは決して間違いではないと思います。しかし、日本から「恥」の文化が消えてしまって、人様から施しを受けるのは恥ずかしいと考える人が少なくなり、「もらえるものはもらっておけ。もらわな損。」という発想に、段々、日本人が変わっていっているようです。
法律上は扶養義務があるといっても、なかなか感情的な問題から扶養しないケースもままあります。以前、私が関与したケースでは、息子が立派な医者になっているにもかかわらず、両親との折り合いが悪く、両親に対して一銭も援助しないため、両親が子どもに対して扶養料を請求するという訴訟をしたことがあります。このような場合に、親が生活保護を申請してきたときに、立派な息子がいるのだから生活保護は支給しないといえるかどうかは難しい問題であろうとは思います。しかし、だからといって、「もらえるものはもらっておこう。」という発想はなかなか受け入れられにくいのではないでしょうか。私の田舎にも私より2歳年上の男性が毎日ぶらぶら仕事もせず遊んでおり、どうやって生活をしているのかと確認したところ、生活保護をもらっているということでした。その男性は、酒も飲めばたばこも吸うということで、生活保護費がその男性の酒とたばこ代に消えているということを考えると、どうもやりきれない思いがします。我々はまじめに税金を払っております。この税金は罰金以上に取り立てが厳しく、有無を言わさず国が召し上げていきます。我々が命を削りながら一生懸命働いて稼いだお金を国家が召し上げ、それを働きもしない人間に酒代とたばこ代として渡していると思うと馬鹿らしくてやっていられない。
小学校中学校では給食費を払わない父兄が増えているとのことです。父兄が給食費を払わないからといって子どもに給食を食べさせないことはできないため、結局、その給食費は払われないまま子どもが卒業してしまい、税金から賄うということになっていっているようです。このように、人様に迷惑を掛けてはいけないという発想は日本人の中から徐々に消えてしまい、「自分さえよければいい。」「くれるものはもらえ。」「人のことは考えない。」というさもしい人間がどんどん増えていっているというのが日本の現状のようです。戦後、GHQと日教組によって教育勅語は完全に葬られてしまいましたが、島国日本が誇れたのは道徳教育であったはずです。道徳無くして国家はあり得ません。もう一度、教育勅語を復活させ、日本の教育の中に道徳、モラルというものを取り入れなければ、本当にこの日本は崩壊してしまうのではないでしょうか。