第40回  納期

第40回  納期
                                                         - 2011年11月4日

納期
 取引には必ず納期というものがあります。建設業であれば工期とも言います。この納期(あるいは工期)を守らなければ、重大な契約違反になることはもちろんのこと、契約を解除される原因にもなります。また、納期を守らない業者は信用されず、お客を減らすのみならず、最終的には倒産という重大な結末を迎えるかも知れません。
 しかし、ある職業には事実上納期がないのです。それが裁判所。
 民事裁判は、争いのある当事者が双方の言い分やそれの裏付けとなる証拠を出し、法廷で尋問などを行って相手の矛盾点などを突いたりし、最終的に、裁判官がどちらの言い分が正しいかという結論を出します。この結論のことを「判決」といいます。民事訴訟法上、判決は弁論終結(審理が終わること)から2ヶ月以内に言い渡さなければならないと規定されています。しかしながら、この規定は絶対守らなければならない規定ではなく、最高裁の判例では、「訓示規定」(守った方がいいよという程度。守らなくても違法にはならないという趣旨)とされているのです。したがって、2ヶ月以内に判決を出すという民事訴訟法の規定を守らない裁判官もちらほら。
 私が担当したある事件の裁判官は、今年の4月13日に審理を終わり、判決期日を7月8日に指定しました。その判決期日の2、3日前に突如として判決期日を8月31日に変更すると一方的に通知してきました。また、その変更された判決期日の2、3日前に判決期日を更に10月14日に変更すると一方的に通知。更に、その2度変更された判決期日の2、3日前に判決期日を10月28日に変更すると一方的に通知。弁論終結から6ヶ月以上が経過しています。かなり証拠の分量も多く、事件としても複雑な事件であったため、こちら側とすれば、裁判官が悩んでいたのだろうと善意に解釈していました。ところが、最終的に言い渡された判決は、まさに木で鼻を括ったような内容。判決を書きやすい部分だけをつまみ食いし、判断に迷うような部分はほとんど無視し、まったく触れていないという、お粗末極まりない判決でした。判決の内容に裁判官の努力や苦悩の跡が伺われるのであれば期日が延びることに対して特に文句は言いません。しかし、単にさぼっていたような、とても正当とは言えない理由で判決言渡期日を引き延ばされたらたまっものではありません。当事者にとって、判決は、裁判を行ってきたことの集大成であり、最も利害関係のある部分。これをなおざりにされ、しかも、期日を一方的に引き延ばされたのでは当事者が納得するわけがありません。
 数年前、ある裁判官は、保全事件(裁判をしていては間に合わないため、急いで判断をしなければならない事件)について、審理を終結してから8ヶ月以上も決定を書かずに放置していました。何度も、裁判所に、「決定はまだか。」と確認するのですが、「今、考えている最中。」「今、書いている最中。」などという口から出任せ的な回答しか返ってきません。最終的に当事者の方が音を上げ、当事者間で和解をして、仮処分そのものを取り下げたということもありました。このようなことが一般の社会で通用しないことは明らかです。しかし、裁判所という世界だから通用するのです。
 ひどいのになると、判決言渡期日を指定すらせず、「判決言渡期日は追って指定。」という言い方をする裁判官もいます。要するに、「判決をいつ言い渡すかは俺が後で勝手に決める。」という趣旨です。このような御上の意識の強い裁判官がまだ現実にいるのです。
 本来、裁判を受ける権利は憲法で保障された国民の権利です。民事裁判は、確かに、紛争の当事者だけでやっているように見えますが、広い目で見れば、国民の裁判を受ける権利の一場面と言えるでしょう。このように納期を守らない裁判官が増え、いつまで経っても紛争を解決してくれないというのであれば、国民の裁判離れが進み、最終的に司法制度というものが崩壊してしまうのではないでしょうか。中国などは、そもそも裁判所が信用されておらず、仲裁制度という制度(民間の弁護士などが紛争の間に入って解決をする制度)に紛争の解決が持ち込まれていると聞きました。裁判官が、自分たちは税金で食わしてもらっている、紛争の当事者はお客様である、判決期日はお客様に対する納期であるという意識を持ってもらいたいものです。