第197回  「矜持(きょうじ)」

「矜持」とは「誇り」です。自分自身や自分の職業、自分の信念などを誇る内心の情況です。
国会などで良く出てくる人々を見ると、「この人、矜持あるの?」と言いたくなる人が大勢いますが、この点については後日に譲ります。
私が問題にしたいのは、弁護士です。皆さんは、テレビで映し出される刑事裁判の法廷の様子を見たことがあると思います。正面の壇上には黒い法服を着た3人の裁判官が座っています。それに向かって右側のテーブルには1~3人が座っています。これが検察官席です。
問題は、その向かい側。裁判官席の向かって左側の席です。ここが弁護人席です。そして、その前に被告人が座るのです。ところが、テレビカメラが入っていると、この席が空席になっていることが非常に多い。
被告人が、これ以上、カメラの前でその顔をさらされたくないという気持ちは分かります。
しかし、問題は、弁護人席も空席だということです。「刑事事件を犯した被告人の弁護人をしているということがテレビ放送されるのが嫌だ。」という理由なのです。
「ちょっと待て。被告人を弁護することは恥ずかしいことなのか。こそこそしなければならないことなのか。弁護士という職業は恥ずべき職業なのか。こそこそ逃げ隠れするなら弁護士バッジを返上しろ!」
弁護人席が空席なテレビの中の法廷を見て、私はいつも怒っています。
確かに、善悪で区別すれば、検察官は善で正義の味方、被告人は罪を犯した悪い奴です。場合によれば、一家4人を殺害した極悪非道の人間かも知れません。「あんな奴を何故、弁護するのか。」と思われるかも知れません。実際に、被告人を弁護することによって、その弁護人が被害者から恨まれることはザラですし、一般人から脅迫されたりすることもあります。特に、国選事件の場合、「あんな奴の為に国が金を出して弁護人を付けるのは納得いかない。」と思われている人が多いのです。
今から50年ほど前、自動車が別府湾に飛び込んで、一家3人が殺害されたとする、いわゆる「別府湾殺人事件」(あるいは「荒木虎美事件」)のとき、佐伯市の弁護士が弁護人として付いたところ、一般の人からの激しい脅迫に耐えかねて、弁護人を辞任したことがあります。このように、弁護人やその家族に危害が及ぶような場合は、顔と名前を隠すことはやむを得ないでしょう。しかし、そうでない一般的な刑事事件の場合も隠れるのはいかがなものか。弁護士としての矜持はないのでしょうか。
「あんな奴を何故、弁護するのか!」
その答えは、「弁護士だから。」です。
そして、「そこに被告人がいるから」弁護するのです。弁護人を求めている人がいるから弁護するのです。勿論、一定の思想や価値観によって弁護人とならない事件もあります。私の場合、弁護士となってから40年間、一度も暴力団の弁護をしたことはありません。犯罪行為を業としている人を弁護する気になれなかったからです。
「被害者とともに泣く」のが検察官ならば、「被告人とともに歩き、被告人の杖になる」のが弁護人です。ただ単に、罪を軽くするだけのためにいるのではありません。被告人の人権を擁護しつつ、正しい判決を求めるのです。それが、弁護士という仕事です。決して三百代言人ではありません。
被告人の弁護人であることに矜持を持ち、テレビカメラから逃げない。そんな弁護士でありたいものです。