第188回  「約束」と「責任」

今回の総選挙、与党(自民党・公明党)が過半数を割り大敗するという結果に終わりました。大分1区では吉良州司氏が、2区では広瀬建氏が、3区では岩屋毅氏が勝利しました。
私は1区の衛藤博昭氏の選挙対策本部長を仰せつかっていましたが、選挙期間中に「約束」と「責任」の2つについて深く考えさせられることがありました。
「約束」とは、2者以上の間で行われる、ある行動や義務を果たすことを前もって取り決めることです。「指切げんまん嘘ついたら針千本飲ます。」に代表されるように、子どもの頃、最初に教えられる規範が約束です。「針千本」飲んだら死ぬので、「約束したら死んでも守れ。」ということを比喩的に言っているのだと思います。
これに対し、「責任」とは、自分が行った行動や決定あるいは組織内の地位に対して発生する義務です。様々な局面で存在し、法的責任、政治責任、社会的責任、道徳的責任などがあります。その責任を果たすことが組織内でも個人としてでも信用を保つうえで必要です。
それでは、この「約束」と「責任」が対立拮抗する場合、どのようにすればいいでしょうか。
実は、今回の衆議院総選挙の際、私自身、「約束」と「責任」との間で大きく揺れ動いていた時期がありました。
大分3区からは岩屋毅氏が立候補しましたが、彼と私とも同い年でもあり長い間の友人関係にあります。彼自身、何度も落選の辛酸をなめ、選挙のこわさは嫌という程、知っています。公示前から、「選挙になったら何日か応援に入って欲しい。」と言われていました。
他方、大分1区からは新人の衛藤博昭氏が出馬し、私は彼の選挙対策本部長になっていました。彼を勝利に導くためのあらゆる対策を採らねばならない重要な役職です。
衆議院解散後、秘書同士の話し合いで、選挙期間中、私の出身地である国東市と杵築市の2日だけ、私が岩屋氏の応援に入るようになりました。
ところが、選挙戦が進むにつれ、1区は劣勢、3区は優勢ということが徐々に明らかになってきました。この時点において、3区の岩屋氏の応援に行くことを止めれば同氏との約束を違えるし、3区に入り大分市(1区)を空ければ1区選対本部長としての責任を放棄することになるのではないか、いずれを採るべきか、悩みました。
その中で、私が出した結論は、岩屋陣営が「あくまでも3区に応援に入って欲しい。」というのであれば彼との「約束」を優先しようとの結論でした。これによって、万が一、「1区の選対本部長として無責任」との批判がなされようと、それは甘んじて受けようと考えました。
しかし、その判断をする時点では1区が劣勢、3区は優勢という情勢が明らかになっていました。私は岩屋氏に対して、その事情を説明し、「約束を違えることになるが、3区へ応援にいくことを止めてもいいか。」と申し入れたところ、同氏も私との約束を解除することに快く応じてくれたため、3区への応援入りをせず1区の選対本部長としての責任を全うすることが出来ました。しかも、岩屋氏から、「こっちのことは気にしないで。最後まで頑張ろう!」と言ってくれたため、1区に専念することができました。彼の懐の深さによって私の呵責の念は軽くなったのでした。
「約束」と「責任」。
似て非なるもの。深く考えさせられた次第です。