第186回  「第1の権力」

「日本の統治機構は3権分立(立法が国会、行政が内閣。司法が裁判所)。
その中でも立法機関である国会が国権の最高機関である(憲法41条)。」
これが、社会の教科書に書かれている日本の統治機構、即ち権力構造に関する説明です。
しかし、果たしてそうでしょうか?
先の東京都知事選挙、小池百合子、石丸伸二、蓮舫の3名以外の名前を覚えている人が何人いるでしょうか?マスコミは連日、この3人のことのみを報道し、それ以外の50人近い立候補者はほとんど無視です。
そして、この3人のうち、誰が1位、誰が2位、誰が3位と、煽る煽る。
更にひどいのが、今真っ最中の自民党総裁選。元ジャーナリストのA氏、昨年から次期総裁選に出馬する旨表明しているのに、いずれのマスコミもまったく触れようとしません。名前すら挙げません。ここまで無視するのは、何らかの意図があるのではないかと勘ぐらざるを得ません。逆に、話題のB氏が出馬について検討していることが分かると、「B氏、総裁選出馬を検討!」とセンセーショナルに大きく報道します。「検討」するだけで大きく報道されるのです。国民の関心もこちらへ大きく傾きます。
そうすると、選挙を控える国会議員は自分が選挙に当選することが最重要ですから、「誰を看板(総理)として選挙することが自分の選挙に有利か?」と考えてしまいます。
逆にマスコミがB氏のことを批判的に報道して国民の人気を下げれば、他のC氏、D氏らにも注目が集まるのです。
このように、国民はマスコミに誘導され、それによって総理が決まり、それによって日本という国の進み方が決まってしまうのです。
国を動かす第1の権力、それは国会でもなければ政党でもない。マスコミなのです。
特に、信念を持っていない権力者の場合、マスコミの論調や支持率などというものに一喜一憂して国民のご機嫌伺い的な政策をとることがあります。こうなったら、それに振り回される国民は悲惨です。
このように、権力者を創り出す過程においても、また権力者が現実に政策を実行する過程においても、マスコミが操作するのです。
しかも、おそろしいのは、操作されている人々が、自分が操作されていることに気づいていないことです。マスコミの報道には恒に一定の意図があるということを念頭に置き、一定の距離を保ったうえで接する必要があるでしょう。
 客観的な証拠をもって裏付けられる事実以外は、すべて一定の意図をもって作られていると考えるべきでしょう。右傾化したマスコミは右へ右へと国民を誘導し、左傾化したマスコミはこれでもかこれでもかというぐらいに保守を批判し、国民を左へと誘っていきます。無意識のうちに国民は一定の方向へと誘導されてしまうのです。しかし、左傾化の行き着く先はロシア、中国、北朝鮮であり、右傾化の行き着く先は戦前の「家」制度であり、軍団主義です。いずれも、行き過ぎると国民に対し、過酷な負担を強いてしまいます。
どちらかに偏るのではなく、「中庸」の精神をもって歩みたいものです。
「大人(たいじん)は中庸を好み、小人(しょうじん)は中庸を嫌う。」という言葉がありますが、是非、大人として中庸の精神を持ち、国民を一定の方向に誘導しないマスコミであって欲しいです。
確かに、「都知事選や総裁選の場合、立候補者の人数が多すぎて全員に取りあってはいられない。」との論理もある程度は理解できます。しかし、公平性・公正性が求められるマスコミが一定の方向に偏り過ぎるのはいかがなものかと思います。特にA氏はずしがあそこまで徹底的に行われたのは驚きました。A氏が自ら記者会見を行ったためか、この頃ようやく一部のメディアに名前が少しだけ出るようになりました。
今や第1の権力と化したマスコミに操られないよう、我々も常日頃から「自分自身」という剣を研いでおかなければなりません。真の意味での国民主権を手に入れるために・・・。