「責任」というものには非常に多くの種類がありますが、「刑事責任」「民事責任」「政治責任」というものが代表的です。特に、現在、国会などで盛んに問題とされている政治資金規正法違反の自民党議員に関して、よく言われています。
先ず、一番範囲が狭く、影響が甚大であるのが「刑事責任」です。刑罰が科せられる場合です。場合によれば、公民権が停止され、政治家生命も終わります。
今回の政治資金規正法違反の犯罪(収支報告書にきちんと収支を記載していなかった罪)は、その主体が「会計責任者」です。国会議員が、その事務所の会計責任者になっていない限り、原則として刑事責任は問われません。但し、国会議員と会計責任者との間に「共謀」関係があれば、例外的に同法違反の罰に問われます。今回、刑事裁判にかけられた3人は、金額の多さに加え、この共謀関係が認められるということで、刑事責任を問われようとしているのです。
刑事責任は問われない場合でも、民事責任は別です。もっと範囲が広いのです。要するに、損害賠償責任を負うかどうかです。例えば、いわゆる「裏金問題」で、次回の選挙に落選した人間が自民党(安倍派)の幹部に対して、「裏金問題などを発生させたから選挙に落ちて多額の損害を蒙った。」として、損害賠償請求する可能性があります。これが民事責任の問題です。
そして、政治家の場合に問われるのが「政治責任」と言われるものです。しかし、この実体はよく分かりません。「説明責任」という言葉もよく使われますが、これと政治責任との関係もよく分かりません。加えて、マスコミが一定の方向へ誘導しようとしているため、増々、分かりにくくなっています。
先日、政治倫理審査会が開かれ、数人の自民党議員が出席し、回答していました。ある議員が「分からない。」「知らない。」を多数回発したので、マスコミ・野党は「嘘つきだ。」「説明責任を果たしていない。」「覚えていないはずない。」などと非難しています。しかし、私、その場面をテレビで観て、嘘をついているようには見えませんでした。
そもそも物的証拠がないのに、本人の供述のみで真実を追求することが困難なのです。「供述者が嘘をついている。」と言うのであれば、誰が見ても正しいと考えられ、かつ、偽造できない物的証拠が必要です。それを入手できない以上、刑事責任や民事責任の場面で追求者が勝つことはありません。「偽証罪が成立する証人喚問にすべきである。」という人もいますが、客観的証拠がない以上、政倫審と同じ結果になるでしょう。
もっとも、「知らないことが悪い。」と言えばそれまでですし、そこまで政治責任の範囲内であると言えば、何らかの責任は問わなければならないでしょう。
今回、岸田総理は多くの議員を、自民党として党規を根拠に処分する様です。これも一種の政治責任かも知れません。起訴はされなかったとしても、政治資金規正法違反という罪を犯したのですから、党規違反として自民党から処分されるのは、当然といえば当然です。
しかし、それが「人民裁判」であってはなりません。「人民裁判」とは、法律によることなく、集団の圧力で行われる、いわゆる「吊し上げ」のことです。確かに、「の不幸は蜜の味」とも言い、自民党幹部が重い処分をされることを国民が望んでいることは否定できません。しかし、刑事責任・民事責任は法律がありますが、政治責任については法律がありません。どのような責任の取り方をするかは自らが決めなければなりません。国民が、その責任の取り方に納得いかなければ、次の選挙で落とせばいいのです。
何度も言いますが、「人民裁判」化は決して許されませんし、総理の独断で処罰することがあってはなりません。法治国家日本においては・・・。