「何人も有罪判決が確定するまでは無罪の推定を受ける。」
これが近代刑事司法の金字塔「無罪推定の原則」です。
10月13日、文部科学省は旧統一教会に対する法人解散命令を東京地裁に対して請求しました。
これで、この件が終了したわけではありません。
これからが始まりです。
裁判所は旧統一教会に解散命令を出すかどうか慎重に判断することになります。
ことは、「信教の自由」(憲法20条)(注①)というデリケートな問題であること、直接的な証拠が少なく、間接的な証拠が多いこと(段ボール20箱分とか、被害者の陳述書170人分とか言われています)、法律上の争点が多岐に亘ること、旧統一教会側も徹底的に争う姿勢であることなどからすると、おそらく最高裁での最終判断が出るまで5年以上はかかるでしょう。
請求者(文科省)側とすれば、旧統一教会の「悪質性」「組織性」「継続性」を立証しなければなりません。これを立証するのはかなり困難だと思われます。
そして、最終的に最高裁がそれを認めてくれなければ、解散命令は出ないのです。
先の「無罪の推定」原則から言えば、最高裁が解散命令を出すまで、旧統一教会は「無罪」即ち「宗教法人として法人格を認めることができる」ということになるのです。
ところで、この騒動の発端は、昨年7月8日に発生した選挙応援演説中の安倍元総理の射殺事件です。
2000年代当初には旧統一教会の問題がしばらく報道されていましたが、15年以上、特に報道されることもありませんでした。それが、上記事件を契機として、あらゆるマスコミが旧統一教会が「反社会的団体」であることを前提として報道を始めました。
その後の経過は皆さんご存じの通りです。
自民党は全国会議員に対して旧統一教会と何らかの関わり合いがあるかどうか、自己申告させ、関わり合いがあったとされる大臣らを辞職させました。
「魔女狩り」とも言えるマスコミの苛烈な報道による内閣支持率の低下を怖れてのことだと思います。
そして、今回は解散命令請求という伝家の宝刀を政府に抜かせたのです。
これらの事象から次のようなことが言えます。
まず、「無罪の推定」原則は建前だけであり、現実には既にマスコミ主導の「人民裁判」によって「有罪の宣告」が為されているということです。
そして、何よりこわいのは、マスコミが一定の方向へ大衆を誘導すれば、それによって時の権力をも動かすことが可能であるということです。
本当にマスコミの力は甚大です。
今や「第4の権力」にとどまらず、「第1の権力」に昇格していると言っても過言ではありません。
だからこそ、我々国民はマスコミに踊らされることなく、冷静に客観的に物事を見る眼を養わなければならないでしょう。
注①…個人がいかなる宗教を信仰するかは個人個人の自由であり、それに対して国家は関与することができないという憲法上の大原則。