今から40年以上前、右も左も分からずに東京都の西北にある大学に入学し、通っていました。大きな立て看板が大学のキャンパスの大隈重信の銅像の下に頻繁に立てられていました。その立て看板には、「〇月〇日、清水谷公園に大集結!!〇〇君と共に闘う学生集まれ!!」などと書かれていました。そこに集まって、政府に対して抗議したり、日米安保条約に対しての反対活動をしたりするのが目的だったと思われます。
先日、オランダ・ハーグのフランス大使館占拠事件に関与したとして懲役20年の実刑判決を受け服役していた国際テロ組織「日本赤軍派」の最高幹部の女性Aが刑務所から出所したとの記事が新聞に載っていました。彼女も学生運動の延長線上にある過激派でした。私が大学生の頃はまだ学生運動がわずかながら残っており、集会が良く持たれていました。その立て看板の中で「清水谷公園」という地名は良く目にしましたが、そこに「集結」したことは一度もありません。あまり興味もなかったので、「清水谷公園」がどこにあるのか調べようとしたこともありませんでした。
あれから40年以上経ちました。まさか、あの清水谷公園のすぐ近くに自分が住むことになるとは思いもしませんでした。緑が多い綺麗な公園ですが、これが学生運動の集会場所になっていたとは誰も想像できないのではないでしょうか。やはり、40年の年月はあらゆるものを変えてしまうのでしょうか。
それにしても私が疑問に思うのは、この頃のマスコミの論調がかなり左傾化しているのではないか、ということです。あるマスコミの記事は、「Aさんが出所後に初めて講演を行い、『本当の民主主義はどこにあるのだろうか。政治を変えないといけない。自民党を変えないといけない。私もその一人として参加していきたいと思います。』と述べた。」と報じているのです。読む人が読めば、あたかもこの女性が民主主義のためにやむを得ずに各事件を起こしたのであり、悪いのは自民党である、と読めます。しかし、彼女の属した赤軍派が起こした事件は、代表的な事件だけでも、下に記載したような大事件が多いのです。
先日の安倍元総理の射殺事件にしても、この頃のマスコミの論調は、「悪いのは旧統一教会とつながっていた安倍元総理であり、犯人はその被害者である。」と言っているように聞こえます。
確かに、悪いところは悪いとして、証拠と事実にもとづいて客観的・冷静に評価する必要がありますが、その評価に予断や先入観を入れてはなりません。特に一定の権利を剥奪する場合はなおさらです。
「清水谷公園」からここまで考えるのは考え過ぎでしょうか。
清水谷公園の近くには「弁慶橋」もあります。この次は学生運動ではなく、弁慶と牛若丸のことに想いをめぐらせましょう。
※日本赤軍の犯罪
① 1972年 テルアビブ空港乱射事件
② 1973年 日航機ハイジャック事件(ドバイ事件)
③ 1974年 ハーグ・仏大使館占拠事件
④ 1975年 クアラルンプール米大使館占拠事件
⑤ 1977年 日航機ハイジャック事件(ダッカ事件)