先日あるリバイバル映画を観ました。1988年に公開された「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画です。その中で、映写技師のアルフレードが主人公の少年に兵士と王女の物語を語る場面があります。
・・・兵士が王女に恋をするけど、身分が違いすぎる。兵士が王女に恋心を打ち明けると、王女は、「王宮の庭で100日間毎日自分を待ち続けてくれたならば、自分は兵士のものになる。」と約束した。兵士は99日間、毎日、王宮に行き待っていたが、あと1日を残して立ち去った・・・
という話です。
兵士があと1日残してどうして立ち去ったのかについては諸説あるみたいです。しかし、ここで私が注目したいのは、「100日間、毎日王宮に来てくれたら身をゆだねる。」、「毎日コツコツと自分の為に足を運んでくれたならば、身分の違いも乗り越えて身も心もまかせる。」と言ったときの王女の心境です。「身分の違いを乗り越えて、100日間、雨の日も風の日も必ずやってくるということは自分を本当に愛しているに違いない。その本当の愛があるのなら、自分の王女としての地位など捨ててもいい。この兵士を信頼してついて行こう。」と考えたのではないでしょうか。
ひるがえって考えるに、逮捕・勾留された被疑者・被告人と弁護人(弁護士)との関係も同じようなものかも知れません。被疑者・被告人と弁護人(弁護士)との間に身分の違いはありませんが、大半の被疑者・被告人にとって「逮捕」「勾留」「裁判」などは初めての経験です。ほとんどの人が逮捕された時点では心を閉ざしているのです。その閉ざした心を開かせるには、毎日会いに行くしかないのです。中には、最初から明るく振る舞う人もいます。しかし、これは家族を心配させない為に「演」じていることもあります。あるいは、何日間通おうと心を閉ざしたままで、まったく心を開いてくれない人もいます。このような人が、ある日突然、心を開くこともあります。弁護人が会いに行っても一言も喋らずに黙秘したままの人もいます。これらの人々も、毎日コツコツと会いに行けば、距離が縮まり徐々に心を開き、口を開いてくれます。ポツリ、ポツリと真実を語り始めてくれることもあります。
そのためにも我々弁護士がコツコツと会いに行って、その心を開いてもらう必要があるのです。雨の日も風の日も土・日・祝日を問わず、毎日、コツコツと会いに行くのです。話すことがなくても、行って会うことに意味があるのです。(中には、心を開きすぎて違法行為の示唆を求めて来る人もいますが、これは要注意。)
心を開いてもらい、その人間性が理解できたら徐々に被疑者・被告人と弁護人との信頼関係が生まれ、それからようやく実質的な弁護活動ができるようになるのです。それができなければ、弁護人を解任されたり、被疑者・被告人に振り回されたりして、いい弁護活動ができません。ましてや、無罪判決を獲得することなど、夢のまた夢となるのです。
十分な弁護活動を行い、被疑者・被告人とともに訴訟活動するためには、コツコツと被疑者・被告人に会いに行き、前述のような「王女」の心境になってもらう必要があるのです。そして、我々弁護士は、王女に恋をした「兵士」にならなければなりません。
さて、99日を過ぎて、100日目はどうすべきでしょうか・・・?