第146回  「被告人を死刑に処する!」

「被告人を死刑に処する!」

今、この文章を読んでいる方の中で、これまでに意図的に一人でも人の生命を奪ったことのある方はいらっしゃるでしょうか? おそらく、一人もいらっしゃらないでしょう。しかし、直接には手を下さずとも、間接的に手を下さざるを得ないこともあります。それが「裁判員裁判」制度です。
「裁判員裁判」制度とは、殺人事件等の一定の重大な刑事事件の裁判において、満20歳以上の国民から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加し、「有罪か無罪か」と、有罪の場合の「刑の種類・重さ」を決める制度です。合議体である以上、仮に被告人が「自分はやっていない。」と無実を叫んでおり、その裁判員や裁判官は無実だと思っていた場合にも「死刑」判決を下さなければならないこともあります。そして、最終的にその被告人が死刑執行されることもあるのです。
先日、ある週刊誌を読んでいたら、弁護士の熊本典道先生が11月に亡くなっていたことが報道されていました。熊本先生は元裁判官で、1966年に発生した事件(※①)において、静岡地裁で被告人の袴田巌さんに対して死刑判決を出した合議裁判体(※②)の一員でした。熊本先生自身は無実だと考えていたけれども、他の2人の裁判官を説得できず、意に反して死刑判決を書いたそうです。袴田さんは無実を訴えて再審請求を出し続けていますが、まだ、無罪放免となったわけではありません。死刑執行の可能性は残っているのです。
熊本先生は袴田さんに対する判決を書いた翌年に、死刑判決を書いたことを後悔し、裁判官を辞めて弁護士になったものの、最後は生活保護をもらいながら失意の中に亡くなっていったようです。まだ私が若い頃、熊本先生の書かれた刑事訴訟法の論文を何本か読んだことがあります。まさに学者肌のまじめな刑事裁判官の論文だったと記憶しています。その熊本先生の人生の大部分を奪い取ったのが、意に反した一本の死刑判決だったと言っても過言ではありません。
しかし、熊本先生は職業として裁判官を選んだのであり、裁判が合議体で構成される以上、そして死刑という刑罰がある以上、ある意味已むを得なかったかも知れません。
これに対し、裁判員の場合は職業として選択したわけではなく、たまたま抽選で当たっただけです。有罪か無罪かが争われている事件で、しかも有罪となれば死刑は間違いないような凶悪事件を担当した場合の裁判員の方の心理的重圧は図り知れないと思われます。「死刑」は一人の人間を意図的に死に至らしめるのです。死刑制度そのものは残すにしても、職業的裁判官でない素人の裁判員の方々に死刑かどうかを決めさせるのは酷なような気がします。
先般、鹿児島県日置市の4人殺害事件で鹿児島地裁は死刑判決を言い渡しました。また、神奈川県座間市のアパートで男女9人の切断死体が見つかった強盗強制性交殺人事件で、12月15日、東京地裁立川支部は被告人に死刑判決を言い渡しました。これらの死刑判決に関与せざるを得なかった裁判員の方々の心理的負担・精神的苦痛は如何ばかりだったでしょうか。裁判員の方々の今後の人生に悪影響を与えないことを願うばかりです。裁判官ではなく弁護士で良かった、としみじみ思う瞬間です。
年末に暗い通信ですみません。来年こそは明るくしたいものです。

※①「袴田事件」・・・・・・・

1966年に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件。死刑判決を 受けた袴田巌元被告人がその判決の冤罪を訴え、再審を求めて争って いる。
※②「合議裁判体」・・・・・・
この当時は、まだ裁判員裁判制度がなく、殺人等の重大事件は3人の 裁判官だけで裁判されていた。