第136回  ふるさと納税

ふるさと納税

私の出身地である杵築市に○○万円の「ふるさと納税」をしました。すると、返礼品として、冷凍した山香牛が「こんなに!」というくらい贈られてきました(おいしい山香牛を食べたい方は、是非、杵築市に「ふるさと納税」をして下さい)。現在住んでいる○○市に市民税を払っても何もいただけないのに、「ふるさと納税」をするとこんなにお返しが頂けるということを初めて知りました。どうりで「ふるさと納税」が繁盛するわけです。住民の少ない自治体がお金を集めようと思えば、「ふるさと納税」でのお返しの品物を豪華にすれば、品物目当てで納税してくれる人が増え、それが可能となるのです。
しかし、出身地でない自治体に対しても「ふるさと納税」ができるというのはいかがなものでしょうか。単に品物が欲しいために自分とはまったく関係のない自治体に納税するというのは、なんとなく釈然としません。「ふるさと」という言葉から、「自分の出身地」を連想するのは私だけでしょうか。例えば、今まで一度も北海道に住んだことのない人が蟹欲しさのため北海道に寄付をして、「ふるさと」納税と言えるのでしょうか。
1月30日、大阪高裁は、総務省が「ふるさと納税」制度から大阪府泉佐野市を除外決定したのは違法だとして、除外決定の取消を求めた同市の訴えを棄却しました。泉佐野市は「ふるさと納税」の返礼品にアマゾンのギフト券などを贈って、平成30年には全国の「ふるさと納税」総額の約1割に該る約497億円をかき集めました。昨年6月の地方税法改正の際、「泉佐野市のやり方は良くない。」として、総務省は同市が「ふるさと納税」制度に参加することを認めなかったのです。この、「参加を認めなかった」総務省の決定が違法かどうかが争われたのです。
大阪高裁の判断は上記のとおりですが、泉佐野市が最高裁へ上告したため、最終的に最高裁の判断にゆだねられることになりました。決着が付くまで、あとしばらくかかる見込みです。
確かに、その自治体とは関係のない高額な品物を返すのはどうかと思いますが、泉佐野市長の「本市には有名な肉も蟹も米もない。多くの寄付が寄せられるのは人気の地場産品を返礼品にできる自治体だけだ。」との主張は身につまされます。住民も少なく、これと言った地場産品もない自治体がお金を集める為に已むを得ずに採った泉佐野市方式を簡単に切り捨てるのもどうかと思います。
他方、本来は多額の住民税を取得できて潤沢な財政を維持できる地方自治体であるのに、そこの住民の多数が物品欲しさから他の自治体へ「ふるさと納税」をしたために財政状況が悪化するという事態もないことはないと思います。そのような場合、奪われた自治体は、奪った自治体に対して恨みを抱いたりすることはないのでしょうか。「モノで釣る。」ということは果たして正しいのでしょうか。
法的な判断というよりも政治的な判断の側面の方が大きいような気がします。いずれにしても最高裁は難しい判断を迫られることになりました。もしかしたら、最高裁は「統治行為論」(注①)を持ち出して逃げるかもしれません。
しかし、そもそも制度設計がきちんとされていなかったために、このような法廷闘争になったのです。総務省の責任が一番重いと言っても過言ではないと思います。

(注①)統治行為論・・・国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、司法審査の対象から除外し、判断しないという理論