第11回 文章力

第11回 文章力
                                                      2009年6月12日
文章力
弁護士の能力を測る基準の一つに文章力があります。自分の考えていること、訴えたいことを分かり易く読み手に伝えなければならず、文章を書く力というのは、かなり難しいものがあります。我々弁護士は、毎日、自らかなり大量の文章を作成しておりますし、他方、相手方弁護士の書いた文章や裁判官の書いた文章などよく目にしています。文章力のある人とそうでない人がいるのは明らかです。

それでは、「文章力」とは一体何でしょうか。一言で言えば、「感銘力」ではないでしょうか。確かに、弁護士の中には、法律上必要な要件事実や証拠の評価などを無駄なく要領よく流れるように書いている人もいます。謂わば、お公家様のような文章です。私もこのような文章を書きたいと念じていたこともあります。しかし、そのような、法律的、事務的な文章は、なかなか読み手の心を打つことはありません。一度読めば、すぐに忘れてしまうような文章が多いのも事実です。

ところで、今はあまり活躍されていませんが、以前大活躍されていた先輩弁護士がいます。この人の文章は、凡そ法律家らしからぬ文章で、とにかく感情任せに書き殴り、裁判の相手方の神経を逆撫でするような表現が至る所に盛り込まれていました。相手方としてその文章を読んだ時、読みながら、カッカッカッカ、怒りが抑えられなかったのは私だけではないと思います。裁判官などとの飲み会の席でも、「あの先生の文章は凡そ弁護士の文章とは思われない。」などと批評されておりました。
しかし、その人の書いた書面は、2、3日、読んだ者の頭から離れないのです。説得力はないにしても、相手方に与える感銘力、迫真性などは、他の弁護士の書面の追随を許さないものがありました。相手方を挑発し、相手方の感情を逆撫でするという点では、その人の書面の右に出る書面はなかったと記憶しております。
我々が弁護士になった頃は、「そのような文章は良くない文章だ。」と考えておりました。しかし、弁護士になって20年以上が過ぎ、この頃、文章について色々考えるように成りました。そつのない、奇麗な、お公家様のような上品な文章も確かにいいでしょう。しかし、文章としては品格がなくとも、相手の心にグサグサと楔を打ち込むような激しい文章も意図的に書かなければならない場合があると思うようになりました。上品に育ったお公家様よりも、野生で育った猛々しい山賊の方が魅力的である場合もあろうかと思われます。そのような激しい文章を意図的に書こうとしても、なかなか書けるものではありません。

私の事務所で修習した司法修習生がこれまで何人もおります。あまり難しいことを指導した記憶はありませんが、文章を書く場合に二つだけ注意します。第一点は、「一文をなるべく短くすること。三行以上に一文が亘ることは極力やめなさい」ということ。第二に、「接続詞をなるべく使わないこと」。この二点だけを常に意識しながら文章を書きなさいという指導をします。

先般、6年前私のもとで修習し、現在、東京で弁護士をしている弁護士と飲む機会がありました。その弁護士の所属している事務所には東京高等裁判所を辞めた著名な裁判官がおり、その若手弁護士の書いた文章をいたく気に入られたとのことです。その著名裁判官が若手弁護士に、「君は良い文章を書くね。」と褒められたので若手弁護士が、「大分で司法修習時代に指導担当の弁護士から、『センテンスを短くしろ。』ということと『接続詞をなるべく使うな。』という指導をされたので、その教えを忠実に守っています。」と答えたところ、その著名裁判官は、「その指導弁護士は大したもんだ。」と言ったとか。

25年以上に亘って文章を大量に書き続けていますが、なかなか満足のいく、思うような文章が未だ書けず四苦八苦しているのが現状です。