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第35回  隻脚の外交官

                                                       - 2011年6月3日 

隻脚の外交官

 私の郷里の先達に重光葵がいます。重光と言えば日本が大東亜戦争で敗北した際、ミズーリ号上で連合国から出されたポツダム宣言受諾文書に日本を代表してサインをした人物として有名です。特に日本史の教科書には、ミズーリ号上に多数のアメリカ人の水兵に囲まれた中で山高帽を被りメガネをかけた重光が杖をついて立っている写真は有名です。

 重光は特命全権大使として南京赴任中の昭和7年7月29日、中国上海新公園での天長節(天皇誕生日)の祝賀式典の際、朝鮮独立運動の共産党員の投げた爆弾によって右足を失いました。それ以来、公式の場では約10kgの義足を着けていたそうです。以来、重光は「隻脚(注;片足の意)の外交官」として活躍しました。

 降伏文書に調印したときの心境を重光は次のように詠んでいます。
 「願わくは御国の末の栄行き 我が名さけすむ人の多きを」
 (いつか日本が再び繁栄して、降伏文書などにサインした私の名前を蔑む人が多くなることを、私は願う)との意。

 初めて敗戦を経験した日本。降伏文書などに調印することは歴史的汚名を永久に残すこと。誰も引き受けたくない役目でした。しかし、重光は、再び日本が繁栄して、このような降伏文書に調印した重光という人物を後の世の人々が蔑むようになることを願ってこの大役を引き受けたのです。

 戦後、重光は、人々の予想に反し、東京裁判において「A級戦犯」に仕立て上げられました。これは、ソ連による意趣返しと言われています。即ち、昭和13年に満州・朝鮮・ソ連が国境を接する張鼓峰でソ連が満州領内に侵入し日本軍と戦闘になった、いわゆる張鼓峰事件の際、重光は外交官としてソ連との外交交渉を逐一国際世論に訴え、その結果、国際世論は日本に同情的となり、ソ連を好戦的な国であると非難する中で停戦交渉が成立したのです。重光の巧みな外交交渉によって面目を潰されたソ連は、この意趣返しとして、この7年後に重光を無理矢理「A級戦犯」に仕立て上げたのです。誰しも無罪の判決が出ると思っていましたが、ソ連の顔色を窺った裁判長ウエップは重光に禁固7年の判決を下しました。約2年間、巣鴨プリズンで収容生活を余儀なくされ、その後、仮釈放となり、鳩山一郎内閣では副総理兼外務大臣に就任しました。そして、1956年12月18日、日本が国際連合に加入した際、有名な「東西の架け橋」演説を行ったのです。このときの心境を重光は次のように詠っています。
 「霧は晴れ 国連の塔は輝きて 高く掲げし 日の丸の旗」

 しかし、それからわずか1ヵ月後、重光はこの世を去りました。
 重光が、後の世の人々が自分の名を蔑むほど日本が繁栄してほしいと願ってミズーリ号に乗船してから60年。確かに物質的に日本は繁栄してきましたが、このような繁栄の仕方で本当によかったのでしょうか。重光が生きていたら今の日本を見てどのように思うでしょうか・・・。



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